忘年会はやっぱり行きたくない。

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去年の11月付近に書いた忘年会に行きたく無い!

って気持ちを残したブログが再びアクセスされていた

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当時、正社員だった僕は始めて会社の忘年会の参加(何故か強制と言われた)

今、考えると当時から全力で働きたくない人だった

早く帰って自分のやりたい事をさっさと初めるのが日課だったので

「忘年会は矯正参加だよ??」って言葉に拒絶反応が起きた

www.toumalog.net

 

 忘年会の歴史をみる

忘年会の起源ははっきりとは判っておらず、いくつかの由来の異なる会合が次第にひとつに融合して生まれた多元的起源を持つ行事であると考えられている。 「としわすれ」という言葉を用いた最古の例としては、室町時代の皇族、伏見宮貞成親王が認めた『看聞日記』で、1430年(永享2年)12月21日の記録として出てくる「先有一献。其後連歌初。会衆如例。夜百韻了一献。及酒盛有乱舞。其興不少歳忘也。」という文章である。これは、年末に催された連歌会が大変に盛り上がり、その様子がまるで「としわすれ」のようだと述べたもので、この頃には既に民衆行事として「としわすれ」と呼ばれる、酒を飲んで乱舞する行事が存在していたことを示している。 江戸時代には、特権階級の人々の中で一年の憂さを晴らす行事になった。 近代の忘年会がお祭りムードに変化したのは明治時代からで、無礼講などのキャッチフレーズで広まった

忘年会 - Wikipedia

 

・忘年会の期限ははっきりしてないけど明治時代付近から本格化

・武士が居る時代は「新年会」が主流で主君に忠誠を誓う宴

 

忘年会の歴史は比較的浅いけど、武士の新年会をする感覚に近いのかなと。

現代では仲間内で小さく鍋を囲んで忘年会ってのもあるみたい

会社で不特定多数の人と時間を共有する必要性がないと言える

(会社、仕事、今いるチームが好きであれば有り)

結局、忘年会は参加しなければいけない理由

歴史を振り返り考えたけど忘年会を毎年スルーするって不可能じゃないかな、、

(スルーしている人もいるだろうけど)

「会社として皆で団結して利益だそう!」って考えで運営してるし

「組織のトップの人も団結をするために皆で飲もう!!」って考えるし

「下の人を団結して頑張るぞ!」と洗脳するし

今の40代の世代が会社から卒業しないとどうにもならないだろう。(30代も含む)

 

別に洗脳って言葉を使うとよろしくない感じだけど人が生きる上で何処かで影響受ける

学校、友達、会社、親とか、自分が取捨選択して洗脳を受けよう。くらいに考えればいい

忘年会の代案を考えた

・上司は部下の相談をしたくなる人になる

・忘年会は現金支給

・上司は部下の相談をしたくなる人になる

組織として上手く回るのを考えると別に全体で飲み会って無くても良くて

むしろ強制参加だと「NO」が言える人が育たない。

「自分の考えを言う、考える」って組織において重要じゃない??って事

対立したり離脱したりする可能性は高くなるけど、離脱したら考え方が合う人を採用すればいいそれくらい軽い感じで風通しの良い組織の方が円滑だし自然だ。

・忘年会は現金支給

「親が急にウザくなる」誰しもが体験するだろう自然現象。

会社だって同じで会社って存在がウザいと思う人はいるから距離感を保ってもいいと思うんですよね。適度な距離感を保てば組織に所属し続けるし

会社に所属して1番ウザいと思う瞬間って距離感を考えないで

自分のテリトリーにズカズカ侵入してくるからで適度な距離感を守れば仕事って続けやすいよね。正社員、バイトって別に条件悪くないのに距離感を考えてないからやめたくなるわけだ

少し話はずれたけど、忘年会→現金支給にすれば使用方法を選択できるし、強制参加でストレスを感じることもない。

まとめ

忘年会の強制参加は反対。距離感を守って欲しい。

そもそも「NO」が言えない空気だすのやめろ、、、

ちなみに当時、所属していた組織の忘年会の様子を聞いたら「葬式みたいだった、、」と答えが帰ってきた。忘年会強制参加文化っておそろしい、、

 

おわり

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